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36件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1984-02-24 第101回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第2号

というのは、日本海軍水上機基地がそこにあった。この間、反対運動人たちが来ました。そのうちの一人が私としゃべっているときに、こんな話をしたのです。どんな話かというと、自分食堂をそこで経営している、クェゼリンの基地反対しているのだけれども、その食堂を経営してやっと食っているのだ、自分は鉄筋コンクリートのものにしたいのだが、お母さんは反対する。彼は歌を歌っていました。桃太郎さんの歌です。

小田実

1977-05-13 第80回国会 衆議院 外務委員会 第17号

少なくとも数十倍、水上機母艦さえも用意するほどの質的なレベルも上げなければ、日本の二百海里線の中の漁船をコントロールすることは不可能でありましょう。したがって、設備もふやし、質も高め、海上保安庁の充実については特段の施策が必要であろうと思います。

渡部一郎

1968-05-14 第58回国会 衆議院 外務委員会 第21号

そのためには、硫黄島におきましては飛行場が必要でございますし、父島におきましては各種の埠頭施設、それから補給部隊というようなものが、護衛艦が入港したとき、水上機発着するとき等において必要でございますというわけで、われわれが自主的にこれを防衛するということに大体閣議了解ができておるわけであります。細密なる防衛関係のこと、ことに予算を含んだ防衛関係のことはまだ決定をされておりません。

増田甲子七

1968-05-14 第58回国会 衆議院 外務委員会 第21号

それから、米軍のほうから宿舎その他の提供を受けるわけでございまして、主として海上自衛艦が参りましたときにこれを受け入れする、水上機が参ったときにこれを受け入れするというのが父島状況でございまして、約四十名の自衛隊員を派遣することを考えております。それから硫黄島におきましては、一万フィートの滑走路を持っておる飛行場の引き渡しを受けますから、これを海上自衛隊において管理する、そのために五十名。

増田甲子七

1968-04-19 第58回国会 衆議院 本会議 第26号

そこで、父島には米海軍施設がございまして、水上機発着場埠頭貯油所等がございまして、九十人の米軍がおります。これは大体においてわが海上自衛隊で引き継ぐということに相なっております。  硫黄島には米空軍施設がございます。約一万フィートに達する飛行場がございまして、この飛行場はわが海上自衛隊が管理をする、そうして、民間にも使っていただきたい、こういうつもりでございます。  

増田甲子七

1967-12-13 第57回国会 衆議院 決算委員会 第3号

これにつきましてもその使用の水上機をどうしても関係企業は売却しなければならないという事情になって、これを中止したわけでございます。航空事業というものは純然たる私企業の形でやっておることは御承知のとおりでございます。ただ私企業であるから全然採算の合わないものを全部やめていいということでもございません。

澤雄次

1967-07-20 第55回国会 衆議院 商工委員会 第34号

中村(重)委員 水上機を飛ばすということは無理であるということに大体意見が統一されておるということを伺ったわけでありますが、そうなってまいりますと、陸上飛行場の建設が可能であるかという問題が一つ出てくる。当該の長崎県におきましては四十二年度予算の中へ調査費を計上した。ところが航空局のほうにおいては長崎県がそうした調査費を計上するということについては問題にしない。

中村重光

1967-07-20 第55回国会 衆議院 商工委員会 第34号

一方、この飛行場を使用しての輸送に当たります航空機としては、当時日本国内航空が所有いたしておりました水上機長崎航空がチャーターして運航する、こういうことになって、それでしばらく継続いたしたわけであります。しかし日本国内航空が御案内のごとく、非常に企業内容が悪くなってまいりました。政府もあるいは政府関係機関でございます日本航空からもいろいろな援助をいたしましたけれども、非常に企業内容が悪い。

手塚良成

1966-04-15 第51回国会 衆議院 決算委員会 第20号

承知のとおりに、対馬空港は、全国でもまれであるところのいわゆる水陸両用水上機飛行場をつくった。ところが、わずか数回飛んで、故障でもってどうにもならない。故障でなくたって、全然採算が合わない、こういうことで、せっかく地元負担というようなものも相当要求をし、あるいは用地も、関係の市町村に対しては提供させるといったような犠牲を求めたわけなんだけれども、この飛行機は飛ばない、そういうことなんです。

中村重光

1966-04-15 第51回国会 衆議院 決算委員会 第20号

そこで、対馬については、具体的にいろいろ固定翼飛行場設置について検討いたしました結果、水上飛行場というものの答えを得まして、御指摘のような水上飛行場設置を見、これの運用をしておる状態でございますが、関係いたしております事業者の機材の関係等で、必ずしも十分に円滑に水上機が飛んでおらないというのが御指摘状況でございますが、なお、われわれといたしましては、関係事業者を督励しまして、十分この設置されました

佐藤光夫

1965-04-23 第48回国会 衆議院 商工委員会 第30号

したがいまして、今後水陸両用機でやるかどうかということにつきましては、なお十分検討いたしたいと思っておりますけれども、グラマンダース以外の水上機を購入するなりチャーターするなりという方法が必ずしもないわけではないと考えておりますので、そういう面で今後ともしばらく指導いたしたいというふうに考えております。

町田直

1965-04-23 第48回国会 衆議院 商工委員会 第30号

ところがこれが水上機ですね。世界にもあまり例がない。日本ではもちろん最近水上機を旅客機として飛ばしておるところはないと思うのですが、これが初めから故障が起こって、機体が亀裂するというようなことになってしまって、もちろん採算の面もあったと思うのですが、それきりストップしておる、こういう状態ですね。島民としますと非常な期待があったのです。物心両面の大きな犠牲を払って協力してきた。

中村重光

1965-04-23 第48回国会 衆議院 商工委員会 第30号

水上機じゃもうだめだというのです。中村長崎航空社長株主総会でこういうことを言っています。水上空港から陸上空港にならない限り再開の見通しは立たない、水上機を飛ばして同空路を再開する考えは、機種の安全性経済性からして全くない、同空路に今後飛行機を飛ばすとすれば、陸上空港にして陸上機を飛ばしたい、このため知事や国に同空港陸上空港化を強く折衝している、今後も促進につとめる、こう言っている。

中村重光

1964-01-30 第46回国会 参議院 運輸委員会 第2号

小酒井義男君 官房長、この間佐世保へ行ったのですが、またあとで報告するのですけれども、そのときに、港内の航路に水上機の、飛行機発着に使われておる場所があるですね。何か港則法の改正をやってもらわなければならぬのだという話があったのですが、そういうのはいま考えられておらぬのですか。

小酒井義男

1963-05-07 第43回国会 参議院 運輸委員会 第18号

それから飛行機はデ・ハビランドのアッター水上機でございまして、操縦士は二名乗っておりまして、一名は清水祥男、それからもう一名は野口剛、それぞれ二千時間以上の飛行経歴を持っておるベテランの操縦士でございます。乗客は横井さん初め九名の方が乗っておられまして、これらの方々が全部おなくなりになりました。  

今井榮文

1961-04-12 第38回国会 衆議院 決算委員会 第20号

今井(榮)政府委員 全日空、日本航空以外の国内線会社といたしましては、現在北海道の道内輸送を担当いたしております北日本航空、それから東京、大島、八丈島というところをやっております日本遊覧、それから水上機でございますが、大阪を起点にいたしまして、白浜、徳島あるいは新居浜をやっております日東航空、それから九州で南西諸島と鹿児島を主としてやっております東西航空、それから一部九州と、現在新潟、佐渡というような

今井榮文

1959-12-23 第33回国会 衆議院 決算委員会 第13号

○田中(彰)委員 あなたの方の技術提携している人がロッキード水上機を目下製造しているので、岐阜の県内にロッキード社から技師が百名も来ておる。また反対に新三菱重工業ロッキードを作るような場合には、愛知県の小牧にある工場でやるのだが、これはあべこべにロッキード社から百人技術者を新たに招聘しなければならぬというようなこと。

田中彰治

1959-11-13 第33回国会 衆議院 決算委員会 第4号

水上機とか、いろいろなものを作っている。それだから、ロッキードに対するいろいろな機械設備、その他技師も、ロッキード技師岐阜県に百人近く入っているはずであります。ところが、新三菱がこれを主になって作るということになると、そういう提携がない。どっちかというと、今までのかたきのようなものです。

田中彰治

1958-09-02 第29回国会 衆議院 決算委員会 第8号

それからもう一つ、水上機の場合は一時間の工賃が四百五十円でありますが、どうしてこう違うのでございますか。水上機の一時間四百五十円の工賃を基底として考えますならば、千二十円ではまさに二倍以上になる。そこから算定されたものによって四月にあなたがこれを内定しているのだというふうにわれわれは心得ているのであります。

山本猛夫

1958-04-01 第28回国会 衆議院 文教委員会 第14号

それで、十四日の夕方から、急遽一応その場所を出まして、そうして別の、もう少し外洋に近いところから空輸の努力を続ける計画をしたわけでございますが、一応そこを出ますと、もはや安全な接岸点というものがめっかりませんで——距離が五十ないし六十マイルでもよかったのですが、めっかりませんで、やむなく今度は水上機によりまして、海の上から輸送しようとしたのでありますが、低気圧つまり暴風が相次いでやって参り、ついに宗谷

永田武

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